「わらにもすがる」想いとともに。

わらむ代表 酒井裕司

Photo: 阿部了
Photo: 阿部了

私がわら細⼯に関わり始めたのは、2015 年のこと。隣の松川町から移住した私には、飯島町の⽔⽥が美しく⾒えました。ところが、統計によると 2040 年に、農家の減少によって飯島町の⼈⼝はゼロになるというのです。その時「なんとかしなければ!」という強い想いが湧き上がってきました。


飯島町は江⼾幕府直轄の役所、陣屋が今に残る町です。⽶俵がたくさん年貢として収められた時代をイメージした途端、⽶俵を担いで役所まで⾛る「⽶俵マラソン」を思いついたのです。すぐに新聞社に連絡すると、3⽇間で定員 50 名の応募がありました。ところが「⽶俵をあむ⼈がいない」というのです。
当時、市販されていた俵の価格は 9000 円。⼤会の参加費は 2000 円。この⾚字を回避するために、⾃分で俵を作ることにしたのです。先⽣を探して⽶俵作りを学んだことが、わらむ創業のきっかけとなりました。

Photo: 阿部了
Photo: 阿部了


俵作りを先⽣から教わるうちに農家の減少に伴うわら細⼯⽂化の衰退を知り、「どうにかしなければ、わらの⽂化は⽇本から消えてしまう」という想いが強まり、脱サラを決意。本格的にわら細⼯のベンチャー企業「南信州⽶俵保存会」(現在のわらむの屋号)を⽴ち上げました。当時の私の睡眠は3時間。師匠から由緒正しい技術を教えていただいて以来、⽇夜「わらにもすがる想い」でわら細⼯に取り組んできました。


今、⽇本のわら職⼈は 50 名ほどで、90 代の⽅がほとんどです。わら細⼯の技術を次世代へ伝えない限り、稲作とともに発展してきた⽇本最古の⽂化は息絶えることでしょう。わらの編み⼿がいなければ、神社のしめ縄もお正⽉のしめ飾りも、⼤相撲の⼟俵も作れず、多くの⽇本伝統⽂化は存続できなくなります。お⽶が⽇本⼈のソウルフードであるように、稲わらは⽇本の伝統⽂化の根幹を担っているのです。

Photo: 阿部了
Photo: 阿部了


稲わらは良いものに使えば、そこに神が宿ります。悪いことに使えば、呪いのわら⼈形になります。それほど稲わらは神聖なものなのです。
私は、命を賭けて⽇本最古のわら細⼯の⽂化を守り、次世代へ渡していく所存です。夢は、わら細⼯の魅⼒を信州から世界へ発信すること。そして、わら細⼯がいつの⽇か「伝統⼯芸品」となるために、わら職⼈ 100 名が集まる伊那⾕を⽬指して、職⼈の保存会を作っていきたいと思います。